鳥海山国際禅堂について

 
 脚下、清流子吉川の渓声をかすかに聴き、南方、雲海はるかに奥羽第一峰、鳥海山の雄姿を仰ぐ静寂境に、当禅堂はあります。
 当禅堂は、高建寺住職 佐藤成孝(じょうこう)堂長の発願のもと、5年間の全国勧進托鉢(かんじんたくはつ)、および国内外の賛同一般有志の浄財により平成18年7月に創建されました。
 経験者、初心の別なく、宗派、宗教、主義、民族、人種、言語を越えた人類万人の禅道場です。


◆建立の目的◆



曹洞宗大本山永平寺開祖 道元禅師画像(大野市宝慶寺蔵 鎌倉時代)


聳え(そびえ)立つ頂きが高いほど、その渓谷は深く穿たれ(うがたれ)ています。日本民族という山脈を縫う渓流の源を求めて辿る(たどる)とき、私たちは「禅門」というあるひとつの淵源に至ることを知ります。
 中世は鎌倉以来、祖師たちの願行(がんぎょう)によって大陸から伝えられたこの禅風は、長い年月をかけ、わが国の風土で醸成されました。やがてそれは、この国の精神支柱となり、文学、(詩文・俳諧等)、芸術(能楽・絵画等)、諸芸道(茶の湯・書道・礼法等)、武道(剣道・弓道等)における気風の背骨となりました。また新渡戸稲造(にとべいなぞう)氏の指摘をまつまでもなく、それは武士道の心ばえの「よすが」ともなりました。今もなお、その精神の気高さと哲理の深遠さに魅せられて来日する欧米人があとを経ちません。
 かって極東の島国で咲いたこの固有の、極めてローカルな精神文化の華は、今や人間の実存(じつぞん:まことのあり方)というグローバルな問いかけに対し、普遍的な香気をはなっています。敗戦後すでに六十余年、わが国は復興、成長、繁栄、安定の各期を経て、目下大きな変革期に遭遇しています。また経済の繁栄、生活の向上とともに人心は現実的かつ功利打算的になり、風紀の乱れ、道義の退廃、人命軽視の風潮は加速、時代は混迷の度を深めています。
 顧みて(かえりみて)鎌倉時代、永平高祖(道元禅師)ご在世もまた北条氏ほか諸豪族の熾烈(しれつ)な政争と興亡動乱にあって、永平高祖のご垂示は毅然、「正身端坐(しょうしんたんざ:身を正して坐ることによって心を正す)」「清規履践(しんぎりせん:正しい生活規範の実践によって正しい人生を歩む)」という獅子吼(ししく)でありました。
 生きることの第一義は日常底の起居動作、ひいては「いま、ここ」の出入の一息(しゅつにゅうのいっそく)をおいて他にありません。礼儀作法の基本から衣食住、料理法にいたるまで一般家庭生活の中に禅門の正しい生活実践とその「こころ」がより一層導入され、この禅堂がささやかでも時代の闇夜を照らすひとすじの光明となることができれば、望外の慶幸であります。


◆建立の趣旨◆


禅堂を背に鳥海山を望む坐禅

 

人類は近代、科学文明の急速な発展により革命的な変貌を遂げました。そして私たち現代人は、テクノロジーの多大な恩恵により、便利、快適かつ豊かな生活を享受しています。反面、生きがいが失われ、人命軽視の犯罪、事件が横行し、虚しさ、疎外感、生への不安が増大し、現代社会は人間性喪失の時代に突入しました。
 いま私たちは原点と基本に立ち返り、本来の自己に目覚め、真の人間精神を取り戻したいものです。
 ここに古来2500年間、釈尊より正しく伝えられた坐禅と生活実践に参ずる道があります。ともに手をたずさえ、互いに価値ある、貴い人生を歩まれる事を切に念願するものです。
 



◆坐禅堂◆(左側の建物)


 僧堂、雲堂とも称す。修行の根本である坐禅道場。食事、睡眠の道場でもある。当禅堂を象徴する最要の建物。
 永平大清規(だいしんぎ:道元禅師著)に準拠して設計。間口8間半、奥行7間半。
 内堂中央に聖僧様(等身大の文殊菩薩様)を安置。その左右前後に16単(1単はタタミ1畳分)の坐禅席が設けられている。
 渡り廊下を隔てた庫院(くいん)は、間口7間、奥行5間。台所、浴室完備。